この歳になって、やっと母親が一人の人間で女性であると腑に落ちた
私の母は虐待とネグレクトを受けて育った人だった。
結婚後も親から主に金銭的な搾取が続いていた。
私は、幼い頃から、母のそうした苦労話を聞かされていた
子供の私は「なんかわかんないけど、お母さんは大変な所から頑張っていてすごいなあ」と感じていた。
自分もそういう辛いことがあったら、頑張ろうと思った。
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多分、私は優しい子だったんだと思う
母を守ってあげなきゃと思っていた
父や祖父母との間で、長男の嫁として苦労している母は、
子供から見ると辛そうであったが、きっと自分たちのためにもそうやって頑張ってくれているんだろうと思っていた
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母が、私たち子供を愛していなかったとは思わない
だけど、母の愛し方は自分本位であった
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自分の保身、自分の評価のための割合が多かった
結局、母が見ていたのは、自分の母親と夫、そして周囲からの評価が大きな割合を占めていた
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私はその母の都合のいい道具だった
それでも母が自分を見てくれるなら・・・という思いが無意識に根底にあって
母が少しでも楽になるように
母が笑顔になるように
母が幸せになるように
小さな頃から頑張ってきた
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それでよかったと思う
大好きな人の幸せを願わない人はいない
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問題は大人になっても、私の優先順位は無意識の中で、母だった
それが物事の判断の基準
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大人になり自立と親ばなれを
どんな動物でもする
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私はそれがうまくできなかったんだと思う
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社会人になって自立しても
母から電話がかかってくるのだ「助けてくれ」と
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時々呼び出されて脅される「お前は幸せになれない」と
友人と楽しんでいる時のタイミングで母から電話がかかってくる
「辛いから、たまには家に帰って手伝ってくれ。帰ってこないなんて親不孝者だ」と
何回も続くうちに
「お前一人だけ幸せにならせない」というメッセージを私は受け取った
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今なら電話に出ないし、
苦しみつつも(やはり親なので)断る
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20代の私はそれができなかった
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過去のことだ
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無意識の中で母との親ばなれができていなかったことで、私はいろんな選択を自分の幸せのためにできなかった
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そうしたことが、今、心理を勉強してようやく自覚できたし、
もう、母の承認や母を求めるのをやめようと決めた
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心理セラピーで、母親の椅子に座った時
母が子供の私をどういう思いや感情で見ているかを体感する
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ああ、こんなに私の存在は母から嫌われ疎まれていたんだと知った
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大好きで、尊敬していたけど
私は母を諦めた
もういいのだ
終わりなのだ
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いくらこちらが好きでも、相手が自分を憎んでいて嫌いなら
こちらが歩み寄ったり努力しても、相手は変わらない
そういう相手とは離れるしかない
私は十分にやってきた
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自分の中でやっとケリがついた
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自分が選んできたことだけど
たくさんの時間と
たくさんのチャンスを失った
自分を生かすのではなく損なう選択ばかりして
セルフネグレクトをしていた
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呆然とする
絶望もする
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だけど気づいたんだから
もうだめだと思うことは何度もあるけど
これからは自分の幸せを母を気にせずに選んでいける
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やっとここまでこれた
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自分をなかなか認めてあげることもできなかったし
自分はダメな人間なんだと思い込んでいた
それももうしなくていいのだ
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脳内で
無意識に行っている選択
心理セラピーを受けて
自分と向き合い続けて
やっと自分の人生を取り戻すことができてきた
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これからどんな人生にするか
私は自由に選べる
もちろん母との関係で築いてきた自分を損なう癖はまだあるだろう
だけどこの大きな気づきを得られたんだから
例え失敗しても
自分を生かす修正や選択ができる
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頑張っても自分ばかりが損をしたり
疲れ切ってしまう方は
一度、自分と向き合ってみるといい
深ーい所に答えがあるかもしれない
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私は、母を尊敬してきた
すごく苦労している人だったから幸せになって欲しかった
そのために色々と頑張ってきた 自分のことは後回しにして
その自分を私は受け入れる
本当によくやってきた
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そしてもう自分の幸せのために生きていいんだということを
しっかりと握りしめていく
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やっと始まるんだなぁ