人からの言葉を受け取りすぎることが多いです
特に言われて嫌だった言葉
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「なんであの人はあんな事言ったんだろう・・・・」
嫌だったら、受け取らなくていいんです
職場だと、なかなか「そんなこと言わないでください」と言うのが私は難しい
そんな風に言うと、「気にしすぎだよ」とか言われる事もある
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だけど
嫌なら心では受け取らない
嫌な顔していいし、
やめてくれないなら無視してもいい
「あなたの言った事、私は嫌なんだよ」というのを行動で伝える
そういうことをしていいのだ、と気づいたのはバーンアウト2回してからやっと
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優しかったり、人の気持ちを考えるいい人は、関係性を大切にしたいと考える人は、私と同じように難しいのではないかと思う
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どうして自分はこんなに、言葉に敏感で、受け取りすぎるのか・・・・
ちょっと考えてみました
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幼少期の家庭環境・・・(本当はこの環境のせいでと言いたくない。カッコ悪いと思う。だけども、今とこれからの自分の人生をよくするために関係があるなら向き合おうと思った。私が幸せなら、周りの人も幸せにできると思うから)
ネグレクトと言葉による否定・罵倒が多い環境だった
家族間での喧嘩が絶えなかった(両親、嫁姑問題)
親とのコミュニケーションが言葉が多かった
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私の脳は、大きな声と強めの口調には警戒信号がつくのだと思う
仕事のおかげだと思うが、相手が話した言葉の内容を吟味して判断することができるので、言われてすぐに怒りまくって反応することはない。
本当に自分の事を言っているのか?
相手の意図は傷つけようとしているのか?
最初に吟味する
次に、それは妥当性があるのか?
自分が悪いことなのか?そうではないのか?
ここで、ジャッジが入るので、いつもつまづいてしまう
「いいこと」なのか「悪い事」なのかは置いておいて、嫌な気持ちになった自分は大切にしたほうがいいんじゃないかと今は思う
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人から言われた言葉に傷ついて、いつまでも握りしめて忘れられないでいることは
自分の人生に影響を及ぼす
何か意味があって記憶に残していると学んだ
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でも「こんなことがなければ・・・」と思ってしまうことがあってもいいと思う
それくらい悔しくて嫌だったんだから
たくさん泣いて、
その時泣けなかった分と悔しかった気持ちを、大人の今なら自分を肯定して労わる言葉をかけ、圧倒的に自分の味方になってあげるのだ(セルフコンパッションをしているんだと思う)
これからそれを握りしめていたいのか、と言うことを自分に問う
以前は、その言葉で自分の価値を決めてしまった
これからは、自分の価値は自分で決めるのだ
他人に決めさせない
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自分のベースに自己否定があると、否定的な言葉を言われた時に
「ああ、私はやっぱりダメなんだ」とそれを受け入れてしまう
そんなことない
傷つく言葉を、自分の人格の一部として受け取らなくていい
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そして嬉しくなる言葉は「ありがとう」と受け入れよう
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言葉を受け取りすぎるのは、親から学んだ人とのつ繋がり方
気づいた今、私は、選べる
否定や罵倒で繋がるのか?
穏やかな話題と笑いで繋がるのか?(もちろん私は喧嘩は必要だと思う。相手を知る機会だし、相手とぶつかって、お互いの意思を伝え合って、折り合いつけられることもある)
人から言われた嫌な言葉を、自分でずっと握りしめていくのか・・・・?
「受け取らなければ、相手にその言葉はかえっていく」と本で読んだことがある。
これからは、そしようと思う
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長い間やってきたことだから、すぐに変わることはできないけど、
少しずつ続ければ、習慣になって、知らないうちに身についていく
そういう心持ちで
希望持って
気長に変わるのだ