「世界が怖い」周りから攻撃されると言う世界観の中で生きてきました。
心理セラピーを受けたり、心理を学んだりして、ようやく感覚を感じ、言語化できるようになりました。
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いつも攻撃されるような不安感の中にいました。
幼少期から母に否定されてきました。
のんびりさんな私は、母の思うようには動くことができませんでした。
2歳半年下の妹の方がなんでも、さっさとできてよく比較されていました。
私の世界観は、未来は不安しかなく嫌なこと、うまくいかないことが多い、すごい頑張っても報われない、そんな感じでした。これは、両親の姿や家庭環境から学んだことです。
私の母は本当に苦労が多かった人でした。母自身も虐待を受けてきた人でした。嫁姑問題でも苦労していました。
だから私は、母の話(愚痴)を聞いて、母に幸せになって欲しいと思ったのです。
なんとか自分が頑張って母親を幸せにしてあげたい。
そんな土台が幼少期からあるため、私が成長していくにつれ不安定になっていく母から、罵倒を浴びせられることが多くなりました。
私は母を怒らせないよう必死でした。黙って母の罵倒が終わるのを堪えるしかありませんでした。
今はこれに耐えて、「自立して、家を出て、自由に生きるんだ」という思いだけが希望でした。
人生は思い通りにいくことだけではないけど、
やはり経済的に自立して、一緒にいたいという人と結婚して自分の家族をつくるのが夢でしたので、
こんだけ耐えてきたのに、自分の家族をつくれなかったと言うのは、悔しさでいっぱいになります。
ただ、今とこれからの人生を大切にしていくこと、今に集中するのが
自分を幸せにしていくために、できることだと思います。
この悔しさ、なくならないです。
だけど、悔しさを感じていくと、悔しさの程度はおさまってきます
悔しさでおかしくなって狂ってしまうんじゃないかという強い悔しさだったのが、
徐々に悔しい、涙が出る、・・・ああ、私はとても悔しいんだ、悲しいんだ、時間を失ってしまったような、損をしたような感覚なんだと自分の感情にジャッジをしなくなってこれました。
それまでは、こんなに悔しがっていてはいけない
ここでとどまっていても何の解決にもならない、そんな風に自分を励ましつつ鞭を打ってやってきました。
これは、結局、自分の本当に感じていることを認めてあげないことになります
自分の存在を認めてあげないことになります
それをたくさんしていくと、死にたくなっていくんではないかと思います。
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「誰かが攻撃してくる」という世界観
私がやっと自分を俯瞰して見ることができたのは、バーンアウト2回して、自分を整えることを徹底的にやってきたからです。
今、低血糖ケアと腸活を再度行っています。
バーンアウトした当初は、食べるのもやっとで、低血糖ケアがなかなかできませんでした。
ちょこちょこと糖質をとるのですが、それがもうしんどくてできない
後の祭りですが、あの時やれていれば、もう少し回復は早かったかな、と思ってしまいます。
でも、今やってみると、メンタルが整ってきているのがわかります
これまでは、毎日自分に我慢させたり、鞭打って頑張らせてきました。
自分が幸せになるのとは全く逆の方法をしてきたんだなあ、と思います。
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「世界が怖い」周りから攻撃されると思っていると(無意識でもです)
本当に攻撃される現実がやってきます
攻撃されないように、非難されないように、否定されないように頑張っていても
結局
攻撃や非難、否定の現実を自分でつくり出しているのです
最初は全然わかりませんでしたが、学び続けてようやくわかってきました
幼少期に母や家庭という環境の中で経験して学んだことが元になっています。
母が否定するので、否定されないように、怒られないようにしてきた
妹と比べられて「お前はできない、トロイ」と言われたくないから頑張る
この行動が50代になった今でも続いているのです。
母は亡くなっていてもです
「自分は否定されたり、比べられて、恥ずかしい思いをするのが嫌だ」と思っているので、
自分を守るために無意識でするのです
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私は、根底に「自分は無価値」というのがあります。
妹と比較され「できない」と言われて恥ずかしく思った経験があるため、
これをなんとかして回避しようと努力します
そこに、目の前に、誰も自分を責めたりする人はいなくても、
自分は無意識に「私は比較されて、否定されて、恥ずかしい思いをする無価値な人間です」というのが無意識に入っているので、
初めは相手はそんなふうに思ってもいないけど、
結果そういう扱いをされてしまうのです
結局
「私は無価値」を証明してしまうのです。
そのために、自分が様々な問題を引き起こしているのです(この点は納得がいかないことがまだあります)。
前提が「私は無価値」なので、これがデフォルト、自分のスタンダードなので
そんな自分は嫌だと「価値がない私」に価値をつけようと頑張ります
結局
頑張って「価値のついた自分」は自分のデフォルトではなく
脳は変化を嫌うため、
デフォルトに戻ろうとするのです
そうして「無価値な自分」にするために、私の場合はバーンアウトしたり、無意識でわざと失敗したり、夢を叶わないように行動して「私は無価値」を証明するのです
こうした仕組みに気づくともう、やめようと思うのです
「私はもともと価値がある」というのを毎日自分に語りかけています
声に出すのです
声に出せない時は、頭の中で巡らせるのです。
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そもそも、「私は価値がない」というのは、事実でも真実でもないです
ちゃんと価値があるのです
それを自分だけが自分に「価値がない」と言っているし、信じているのです
頑張っても報われない人生、
一緒にやめていきませんか?