私と母とキリスト教2

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私は母に連れられて、キリスト教教会に行きます

確かにキリスト教のクリスチャンの方々はとても親切で優しい

でも、私はもう捻くれまくっていましたので、

うわべだけだと思っていました

実際に心から信じてらっしゃる方には本当に失礼な思いです

「愛」というのを私は家庭では学べなかったので、キリスト教会でそれがわかるのかもしれないと思っていました

「愛」

今、私が思う愛は、当時学んだ愛とは違う気がします

植物を育てる時のように、

葉や茎・枝の状態を見てやること

お水や肥料を適量与えること

適切な場所に置いてやること

そして咲いた花や枝や葉を愛でること

このようにそれ自体を肯定し愛でながら毎日適切な手入れをする

時には痛いけど枝を切ったりしないとなりません

こういう事なんじゃないかと思ってます

成長を楽しみに待ち、来年はどんな花を咲かせるのか楽しみにまったり

水を与え忘れてしょんぼりとしていたら、水を与えたり・・・

特別大きなことではない

私は母との関係で、

水を与えすぎたり

切らなければならない枝を切らなかったり

毎日の小さな手入れをしなかったり

自分が咲かせる花について無関心で、母のお世話ばかりをしていました

これは母との関係ではないけれど

キリスト教会でよく罪悪感をもったのが

愚痴や悪口の多い人とか普通になんとなく一緒に食事はしたくない人との誘いを断ると

「愛がない」と言われることでした

断る権利あるよね?私にも・・・・

と思ったのです

私はなんでも話を聞いてくれそうに見えるようで

話を聞いてほしい人が本当によく集まりました

それで体調を崩してしまいました

嫌なこと続けていたら体調崩すのは当たり前です

クリスチャンの方々を否定している訳ではありません

私が書いたのはごく一部の方々なんだと思います

そして何より私の責任は

嫌ならわかりやすくガッツリと断るという事です

「嫌われたくない」という思い

「印象を悪くしたくない」という思い

これらでやんわりとしか伝えていない私の方にも問題があるのだと

心理を学んでわかりました

ですから体調不良の原因を自ら作っているのです

痛いですね・・・・

わかった今から変えればいい

過去は終わったこと

変えられない

貴重な気づくための体験であったと感謝

分子栄養学で学んだ事を追加すると

こうやって嫌だと感じる環境に身を置き続けることは

交感神経が優位になる いつでも戦闘モードになっている

「嫌だ」という事は脳は「身の危険」を感じているから

そうすると

消化活動は阻害される

治療としてせっかく体にいい栄養のある食事を食べたり

高価なサプリを飲んでも

体に吸収されなければ、何の意味もない

ただのお金の無駄遣いだし

脳のエネルギーも嫌な事に使わせているという事になる

脳が疲労してしまう そしてそれが進むとうつへと進んでいく

嫌な事ははっきりと断る

嫌な場所には近づかない

心理と分子栄養学からもわかりました

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